by 安田 悠太郎
GP8th直後の4月22日にプロ部門の創設、そしてユウキングとの契約を発表した株式会社Next Pro。愛知県の名古屋市は大須でカードショップNextProを展開する同社は、次いで5月1日にじゃきーとの契約を公表し、更なる衝撃を競技シーンに与えた。
2018年度は4倍規模のCSが開催されず、全国大会のTop8進出も逃した中部。そこで誕生した新たなプロチームは、閉塞した状況を打破し熱量を取り戻すきっかけとなるか。
契約プロのユウキングとじゃきーに話を伺った。
《プレイヤー プロフィール》
【ユウキング】
・年齢:21歳(1997年度生まれ)
・過去戦績: DM:Akashic Record 生涯ランキング1位
・活動地域:岐阜県
・所属:Next Pro
【じゃきー】
・年齢:22歳(1996年度生まれ)
・過去戦績:2015年度東海エリア予選 優勝、2015年度日本一決定戦 優勝
・活動地域:愛知県
・所属:Next Pro
《ユウキングの物語》
ユウキングはもともと、カードゲームをプレイするタイプの人間ではなかった。コンテンツを全く知らないわけではなかったが、デュエル・マスターズは子供向けで、遊戯王の方が面白いと思っていた。
きっかけは2010年。ゲームボーイアドバンスで出ていたデュエル・マスターズのソフトを何気なく購入したことで、面白さを知った。
当時から現在に至るまで、一貫して負けず嫌い。勝負事だと理解するとすぐにのめり込み、本物のカードで遊び始めた。
「ちょうど『不滅オロチ』が流行っていた頃でしたね。自分はあのデッキが大好きで、使って以来、踏み倒しにハマりました。
その後も『カイザー刃鬼』や『5Cキューブ』など、踏み倒しばかり使っていました」
そう当時を振り返るユウキングのCS初出場は、2011年5月の第4回関東CSだった。当の競技デュエル・マスターズ界における、ビッグイベントである。
彼は現在に至るまで岐阜県住まいだから、初出場が初遠征だ。それほど、戦いたいという衝動が強かった。
もっとも、最初から勝てるほどこのゲームは甘くない。
「持ち込んだのは、もちろん『不滅オロチ』です。でも、全然ダメでしたね。上位にいたのは『ドロマーハンデス』や『黒緑速攻』ばかりでした」
『ドロマーハンデス』も『黒緑速攻』も、『不滅オロチ』が苦手とするアーキタイプだ。この大会では結局、" 初代レジェンド "ラスゴが持ち込んだ《グローリー・スノー》型の『ドロマーハンデス』が優勝している。
初めての大会に出る為、岐阜から東京まで遠征したのにメタ読みを外し、敗北。常人にとってはショックの大きい出来事だが、負けず嫌いのユウキングは悔しさをモチベーションへと転化してしまう。
なんと1ヶ月後に北陸まで遠征。第1回金沢CSに出場し、自身初めてとなるベスト8入賞を達成してしまったのだ。
以降も各地を転戦し、DM:Akashic Recordがランキングの運営を休止する2017年3月までに、10の都道府県で計35回のTop8入賞を達成。これは当時の最高記録だった。
彼に次いで入賞回数の多かった中四国のPRIDEは25回と言えば、その凄まじさが伝わるだろう。現在のように、毎週どこかでCSが開催されるわけでもない時代に、この数字である。
それほどの戦績を残しながら、ここ2年は競技シーンから遠ざかっていた。
「専門学校を卒業して、美容師として働き始めたんです。就職先は忙しいところで、9時から23時まで休みなく働くような日もありました。デュエル・マスターズで遊ぶ時間を作るのは、とても難しくて」
言葉に誇張はない。満足に食事を摂ることすら出来ない日もあった。
そして、栄養失調で倒れた。
「今は、知人に紹介してもらった別の美容室で働いています。そこでは土日休みのシフトにしていただいていまして、CSに出場できるようになりました。
やるとなれば、やっぱり日本一を目指したい。誰にも負けたくないんです」
そう考えていたものの、中部でポイントを稼ぐのは難しい。悩んでいた矢先、立ち寄った大須のNextProで、同社の佐藤社長と偶然、顔を合わせた。
「何かの縁だと思って、Next Proさんもプロとかやらないんですか?と聞いてみたんです。そしたら好感触で。
検討していただいた結果として、全国大会出場に向けてプロ契約という形でご支援をいただくことになりました。
決まった時は、本当に嬉しかったです。昔、CSで活躍していた人たちが次々とプロになる中で、自分は何をやっているんだという思いが強かったので」
5月半ばの時点で、既にユウキングは10000ポイントを稼いでいる。全国大会への出場は、決して夢物語ではない。Next Proも積極的に倍率の高いイベントを開催し、彼をサポートしている。
「負けず嫌いなので、やるからには絶対に日本一を獲りたいと思っています。
プロとしては、愛知のデュエル・マスターズを盛り上げていきたいですね。昔の活気を取り戻したいんです。
Next Proさんの方でデッキ紹介動画なんかも出していく予定なので、お楽しみに!」
熱く夢を語ってくれたユウキング。掴み残した栄光を手にする為に帰還した古豪を歓迎する声は多い。
彼ならきっと、歴史にその名を刻むだろう。
《じゃきーの物語》
じゃきーが競技デュエル・マスターズに触れたのは、ユウキングよりも遅い。
初めて出場したCSは、2014年3月の第3回静岡CS。エリア予選の初出場は、同じ年の12月だ。
全国大会への初出場を決めたのは、その翌年だと言うから恐れ入る。
「2015年のエリア予選には、『ヘブンズゲート』を持ち込み、優勝しました。自分は好きなデッキを決め打ちするタイプで、この時の選択理由もそうでしたね」
好きだから、選んだ。じゃきーのスタンスはシンプルで明快だ。
が、思わぬ横槍が入る。2015年度全国大会の直前に、『ヘブンズゲート』の中核である《奇跡の精霊ミルザム》が殿堂入りしてしまったのだ。
それでも、じゃきーは信念を曲げなかった。全国大会に持ち込んだのは、変わらず『ヘブンズゲート』だ。この選択は、他選手が「まさか規制されたアーキタイプを持ち込む人間はいないだろう」と考えていたことから功を奏し、優勝。2015年度の日本一の座に輝いた。
以来、" 天門のカギを持つもの "の二つ名で呼ばれている。
「優勝できて、すごく嬉しかったです。全国から集った他のプレイヤーたちと知り合えたことも含め、いい思い出ですね。
それに、優勝したことでU.D.B.にもお声がけ頂きました。ユーザー側では唯一のアルティメイターとして出演しています」
そんな彼が今回、プロ契約に至った理由は何か。競技シーンに絡んだ経緯だろうと予想しながら聞くと、意外な答えが返ってきた。
「今年の1月にYoutuberの方々が集まるイベントにお邪魔して、そこで色んなことを教えていただきました。それで、動画出演への心理的なハードルが下がったんです。
何かやってみたいと思っていたところに、Next Proさんからユウキング経由でお誘いを頂き、1週間ほど考えた末に契約を決断しました」
U.D.B.への出演などを経験したからか、GPの放送席インタビューでは場慣れした受け答えを見せたじゃきー。
彼は、自身の考えるプロ像についてこう語る。
「プロって、強いだけじゃダメだと思うんです。全国大会を狙うのはもちろんですが、メディア露出も必要じゃないかと。今だったら動画ですよね。プロとして、対戦動画や企画動画を上げていきたいと考えています。
お店からご支援をいただいている訳ですし、最低でもその分は貢献しないと」
全国大会への出場権を賭けたGP8thは、殿堂レギュレーション1本に絞って調整した戦略が功を奏し、ベスト8入賞を達成。全国出場には届かなかったものの中部勢の復権を印象付け、ポイントも手に入れた。2度目の日本一へ向けた滑り出しとしては上々だろう。
今年、じゃきーが再び頂点に立てば、自身2度目の日本一となる。2005年に2度目の日本一を達成し、黎明期の関東黄金時代を牽引したhiro以来、14年ぶりの大記録だ。
かつての王者は今、新たな王者となる為に動き出した。
古豪ユウキングと王者じゃきー、その伝説的な2人を抱えるチームNext Pro。彼らは本気で世界を変えようとしている。
《あとがき》
今回の取材は、5月1日に開催された第23回Next ProCSにて行わせていただいた。会場は、名古屋からはやや遠い場所だったものの、距離などは物ともせずに集まったプレイヤーたちが火花を散らしていた。
当日枠狙いで来場したプレイヤーも多く、一部のプレイヤーの参加は定員の関係上、泣く泣く断ったと森マネージャーが話してくれた。
大会の決勝には、所属プロであるユウキングのチームが進出。相対するのは" 2代目レジェンド "ロマサイ。
互いのメンバーが1勝1敗となり、チームの勝敗はユウキングとロマサイの対戦に託される。
そしてゲームカウント1-1からの3ゲーム目、接戦の末に勝利したのはユウキング!横で観戦していた佐藤社長は、思わず「いやー……涙出そうや」と漏らしていた。
佐藤社長は、決してこれまでの人生でデュエル・マスターズに入れ込んで来た方ではない。けれど、自社の所属プロの試合を観戦し、感情を同期させ、勝敗に一喜一憂し、心から応援する事ができる。
Next Proは、プロ契約を単なる商売として捉えているのではない。損得を超えた領域に達し、熱量を持った夢をプロに託しているのだ。社長の姿からは、そんな意志が強烈に伝わって来た。
ユウキング、じゃきーが揃っての公式大会初陣は、超CS in 山形。彼らがどんなアプローチを見せてくれるのか、楽しみでならない。
Comments